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もはや奇跡ではなく呪い。誰ひとり幸せにならない選択と真実の告白

もはや奇跡ではなく呪い。誰ひとり幸せにならない選択と真実の告白【君が心をくれたから#7】
もはや奇跡ではなく呪い。誰ひとり幸せにならない選択と真実の告白【君が心をくれたから#7】

※このコラムは『君が心をくれたから』7話までのネタバレを含んでいます。

■富士急のアトラクションばりの激動の数ヶ月

とうとう太陽(山田裕貴)と念願の両思いになったと思いきや、突然の祖母の死。そしてもうすぐ触覚を失ってしまう、という、富士急ハイランドのアトラクションもびっくりの高低差で、激動すぎる人生を数ヶ月で歩んでいる雨永野芽郁)。

五感を失うことを、「病気」という名目で太陽に告白したものの、詳細なタイムリミットまでは伝えていません。そのためか太陽は失うまでの期間を、実際よりも長いスパンで考えているよう。

まもなく視覚を失う期限に焦る雨は、どうにかそれまでに太陽の花火を見ようと、桜祭りに花火を上げてほしいと太陽に持ちかけるのですが、「次の春までには」と悠長な返事。太陽としても、早く雨に花火を見せたいという気持ちはありつつ、目の問題や、実力が見合わない現実が分かっているからこそ、「今はまだ」という本心があるようです。

五感失うタイムリミットを伝えてしまえば、太陽がそれまでに花火を完成させられなかった時に、自分を責めてしまうだろうと、雨はそれ以上は何も言えず口をつぐんでしまいます。

それにしても太陽の父(遠藤憲一)が雨を迎えた時に、いつもの厳しさはどこへやら。雨にデレデレしていましたが、あの入院の一件以来、どんなにまじめに花火を語っていても、感じよくしていても、「ちゃんとうんこ出てるかな?」と顔を見るたびうんこがちらついてしまってもうだめです。調子どう?

■触覚を失い、奇跡の真実を知ることになった太陽

雨が触覚を失う瞬間は静かに訪れました。

期限を迎える夜。太陽に「朝までギュッてしててほしい」と、抱きしめ合いながら眠りにつく雨。「付き合って三週間だけど愛してる。それだけはずっと変わらない」と、太陽の温もりや感触を存分に感じながら触覚を失いました。

翌朝、雨は階段から落ち、怪我をします。

もちろん触覚がないため、血が出ていることにも気づきません。五感を失っていることは理解しつつ、それが病気ではないことに気づき始めた太陽は、雨に真相を問いただします。

うそでは隠し通せないと判断した雨が告げる残酷な真実。自分の命と引き換えに雨が五感を失うことになったことを知った太陽は泣き崩れます。「雨が夢を諦めたのも、五感も、全部俺が奪ったんだ……!」と。

■絶望の淵の太陽と強くなった雨

まっすぐな太陽は迷うことなく奇跡を起こした案内人達に懇願します。

「俺の五感を雨に渡してください。どうなったって構いません。それでこの奇跡を終わらせてください」まっすぐで純粋な叫びにも似た願いに、見ているこちらも目頭が熱くなるものの、もちろんそれはかないません。

本質としては、「太陽をひき逃げした運転手を引き摺り出して、そいつの五感を雨に渡してこの奇跡を終わらせてください」でハッピーエンドなんですけど、ひき逃げ犯はどうなったんですか? 警察仕事しろ!

「自分が死んで良かったのに」とやるせない気持ちに打ちひしがれる太陽に雨は言葉をかけます。

「太陽くんには誰にも負けないすてきな価値があるよ。あなたは私の人生を変えてくれたから。太陽はこの世界に必要だよ」

高校生の頃、自己肯定感が底辺だった雨に、太陽が校内放送テロで叫んだあの言葉をそっくりそのまま返すのです。太陽が雨に心を与えてくれた、雨にとって大切な宝物のような言葉。自分が泣きたいくらいの立場のはずなのに、太陽をはげまし、愛を伝える気丈さ。

前回、太陽は雨の祖母に「雨ちゃんは強くなりましたよ」と、言っていましたが、本当に強くなりました。

■真実は隠す? 伝える? どちらが幸せだったのか

今回、奇跡の真相を全て太陽に伝えることとなりましたが、真実を全て伝えるのが幸せなのか、隠したままの方が幸せなのか。

真実を伝えれば、太陽は責任を感じて自分を永遠に責め続けるでしょうし、隠し続けたとしても、愛する雨が目の前で徐々に五感を失っていく姿を目にすることや、雨の受難を一緒に抱えて生きていくことは太陽にとって苦しいことかもしれません。

どちらの方が幸せだったのか? そもそもこの奇跡は起こすべきだったのか? とまで考えてしまいます。運命に従っていたほうが、あるべき人生に収まって幸せだったのかもしれません。雨の受難によって、雨本人や周囲の人間の苦労や悲しみ、それが続く期間まで増えているようにも思えます。

ただ、目の前で愛する人の命が失われようとしている時、あの一瞬で判断を迫られ、そこまでの未来を予想し、全てを見通して決断できる人は少ないでしょう。

■幸せな人が生まれないこの奇跡は、もはや呪い

雨、太陽、どちらの気持ちも分かるだけに、見ていて本当にもどかしいし切ないですよね。太陽を助けたいというまっすぐな雨の気持ち。自分なんかのために、大切な雨から五感を失わせるなんてしたくない、という太陽の気持ち。

せっかくの奇跡のはずなのに、この中に幸せな人はいるんでしょうか。太陽が生き延びたことで、雨は目的を果たせて幸せなはずですが、当然ながら五感を失う苦しみに押しつぶされそうになる瞬間も多い。これはもう奇跡ではなく、もはや呪いなのでは。

■とうとうやってきた、視覚のリミット

次に失われるのはとうとう視覚だと、親切設計スマートウォッチによってお知らせされました。やはりこの時計は、あの世からの支給品とはいえ定期的に充電が必要なのか? など、細かいことも気になりつつ、そのタイムリミットは1ヶ月後の桜祭りの日。

「雨ちゃんからたくさん奪ったから」と言う太陽に「そんなことないけどな。そう思うなら一つだけもらっていい? あなたの花火を私に見せて」と、桜祭りに太陽の花火を見せてもらう約束をします。

「そんなことない」という言葉には、「奪われたものよりもたくさん心をいっぱいもらったよ」という気持ちがこもっているのでしょうね。

そしてまだ完璧な花火を作れない、と太陽は思っているようですが、もうここまでくれば何でもいいのです。太陽が雨を想って上げてくれた花火であれば、それは雨の目と心と記憶に残るものになるはずです。

質が悪いと翌年の発注が難しくなるとの話はありつつ、事情を便秘父に話して、数玉だけでも太陽の花火を上げることがかなえば、それだけでもいい。

触覚を失い、力の加減も分からず、いよいよ歩くことも、ミサンガを結ぶことも難しくなり、生活に大きく支障が出てきた雨。不幸や悲しみばかり降りかかる雨に、どうか幸せな奇跡が起きて欲しいと願うばかりです。

太陽の花火はどうなるのでしょうか。また次回。

参照元https://dailynewsonline.jp/