「馮河」があらわす状況
「馮」は水辺を徒歩で渡ることを意味しています。
そして、「河」とは、中国を代表する大河川「黄河」のことです。
つまり、黄河を徒歩で渡ろうとすることを「馮河」はあらわしています。大河として知られる黄河を徒歩で渡ろうというのは非常に危険な行為であり、無謀な考えとなります。
「暴虎馮河」という言葉は、中国の故事からきているとされます。
特に虎に素手で立ち向かい、大河を徒歩で渡るという中国の故事から来た言葉とされています。孔子の弟子である「子路」という人物が、自分の名前があがることを期待して「先生がもし大軍を動かすならば誰と一緒になさいますか」と尋ねました。
その時、孔子は子路の考えを察して次のような言葉で返しました。
「暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也」この言葉は「虎に素手で立ち向かったり準備もせずに河を渡ろうとしたり、無鉄砲で死んでも後悔しないような者とは一緒に行動しない」という意味で、暗に子路を嗜めたのです。
しかし、孔子の思いは届かなかったのか、子路はその後に仕官した先で抗争に巻き込まれ、非業の死を遂げるのでした。
この孔子と子路のやり取りから「暴虎馮河」という言葉は生まれたのです。
「暴虎馮河」の類義語には「匹夫の勇」「猪突猛進」「直情径行」などがあげられます。
匹夫の勇
「匹夫の勇」とは、深く考えることはなく血気盛んなだけの様子を意味します。
思慮も分別もない腕力に頼るだけの勇気を指します。腕力に物を言わせて、頭で考えていないことへの皮肉としても使用される言葉です。
この言葉もまた、中国の故事からきています。
古代中国の戦国時代、斉の国王が「私は勇気ある者が好きだ」と言いました。それに対して思想家の孟子は「剣を手にして『あいつは俺には敵うまい』などと言うのは身分の低い者の勇ましさ、つまり「匹夫の勇」であり、それは1人と対峙するもだ」と述べました。
続けて「より野望の大きな王者に相応しい勇気を持つように」と激励の言葉をかけました。この孟子の発言が転じて、考えなしの血気盛んな様子を「匹夫の勇」と表現するようになりました。
「猪突猛進」とは、何も考えずに全力で突き進むことを言います。
後先考えずにがむしゃらになっていることに対しても用いられます。1つのことに夢中になっていて、向う見ずになっていることを意味します。
猪が一直線に突撃してくる様子からきた例えとなっています。
「直情径行」とは、思ったままに発言したり行動ととることを意味します。
相手の思惑など考慮しない言動に対して用いられます。これらは古代中国にまとめられた「礼記」に由来します。
礼記の一節に「直情径行なるものがあり戎狄の道なり」とあります。
ここから「直情径行」という言葉が来ているのだとか。ちなみに「戎狄」とは当時の中国の外にいたとされる野蛮な民族を卑下した表現となっています。