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MLB満場一致でMVP!大谷翔平、高校時代からの「ここがすごい」マル秘素顔

大谷翔平
大谷翔平

 今季の大リーグを席巻した大谷翔平(27)が、日本人選手では、かのイチロー以来20年ぶり、満票では史上初となるMVPに輝いた。

メジャーリーグにも超人的な選手は過去にもいました。たとえば、ストックホルム五輪の五種競技、十種競技で金メダルを獲得し、MLBや創成期のNFLでもプレーしたジム・ソープ。80年代にはMLBとNFLの双方でオールスター出場を果たしたボー・ジャクソンのような選手もいた。そういった、誰もできなかったことを成し遂げたという意味でも、今季の大谷は彼らと同等。伝説的な英雄たちにも劣らない歴史的な活躍でした」(大リーグ評論家の福島良一氏)

 では、そんな本場アメリカの野球ファンをもトリコにした“英雄”は、いかにして日米でMVPを獲るまでの選手になったのか。

 そこで今回は、プロ入り前の岩手・花巻東高から日本ハム時代、そして現在へと至る我らが大谷翔平の軌跡を徹底調査。唯一無二の“二刀流モンスター”の秘密を紐解いていきたい。

「直前の東北大会でプロ関係者の度肝を抜く投球を見せた高1の冬。受け答えにはまだ、たどたどしさもありましたが、“将来どんな選手になりたいか”という質問に対しては、ハッキリ“世界一の選手になりたい”と応えていたのが、今も強く印象に残っていますね」

 こう語るのは、スポーツライターの菊地高弘氏。

 高校生の大谷にとって、それが初の単独取材。まだ本格的な“二刀流”でさえなかった彼は、しかし、その当時から、すでに“世界”を見据えていたという。

「評判は耳にしていましたが、どうしたって先輩・菊池雄星と比較される。当初は“かわいそうだな”という思いもあったんです。

でも、実際に生で投球を見たら、たった1球で“モノが違う”と体感できた。あの体格からは想像できない柔らかさ。自分の意図した通りに体をコントロールする能力。どちらも図抜けていたんです」(前同)

■二刀流が生まれたワケ

 その後、高校2年時に投球に欠かせない股関節の骨端線を損傷して、投手としての評価は下降線に。

 だが、結果的には、このケガの功名が“二刀流”の契機ともなっていく。

「投げられない時期を打撃練習に費やしていたら、今度は、そっちが怪物級になった。この頃はスカウト陣の評価も、もっぱら打者としてのものでした。それが高3夏の県大会の準決勝で、160キロを記録したことで一変しました」(同)

 当の大谷自身も、この時期と前後して「投手として」から、「求められるところで」と徐々に変遷。“世界”を現実的に意識した発言が増えていったという。

「彼は学校の授業では日本史、とりわけ幕末維新の時期が好きだと話してました。高卒後すぐのMLB志望も、日本のNPBがけっして嫌なわけではなく、それが前例のない挑戦だったから。いわば、彼の持つ開拓者精神がそうさせたんでしょう。もし、あそこで日本ハム球団が“二刀流”という新しい価値観を提示していなかったら、今の彼は、おそらくなかったんじゃないかなと」(同)

 これについては、前出の福島氏も、こう話す。

「もし日本ハムでの実績がなければ、MLBのどの球団も、彼の“二刀流”を認めることはなかったでしょう。その点でも、日本ハム球団が提示した新たな選択肢が、彼の未来を切り拓ひらいたと言ってもいい」

 その日本ハムでも、大谷は高卒新人らしからぬ大器の片鱗を見せつける。

参照元https://dailynewsonline.jp/