KAT-TUNは今年が15周年アニバーサリー。メンバーの頭文字を取ったデビューグループの先駆けで、「K」は亀梨和也、「A」は赤西仁、「T」は田中聖、「T」は田口淳之介、「U」は上田竜也、「N」は中丸雄一だった。ところが、赤西と田中と田口が脱退・退所。現在はちょうど半数となった。「KA」が亀梨、「TTU」が上田(「た」「つ」や「う」えだ)、「N」が中丸という強引なこじつけになっている。
KAT-TUNは01年に、KinKi Kidsの堂本光一の専属バックダンサーとして結成された。従来のキラキラジャニーズと異なり、不良・ギラギラ・ワイルドを打ち出した。それはイメージではなく、メンバーがもともと持っていた性質で、当時はその反抗的すぎる態度で事務所関係者や番組スタッフ、タレント仲間が手を焼いた。
「とにかく生意気でした。踊りを教えたとおりに踊らない、衣装も指示されたとおりに着ない、時間を守らない、取材の際の口数も少ない。光一から何度も、『おまえら2度と出るな!』と雷を落とされています」(アイドル誌ライター)
上田は「クズだった」と当時を振り返る。その頃に共演した有吉弘行からは、「おまえ、ポケットに手突っ込むな」と厳しい口調で注意された。昨年、その有吉と嵐の櫻井翔が司会を務める「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)に出演した際、有吉から「確かに(態度が)ひどかったから、マジでKAT-TUNだけは(許せない)と思ってた」と打ちあけられている。
「田中と上田は、目が合っただけでケンカになったこともあります。いろんな組み合わせで衝突することが日常茶飯事。その状態のまま番組やコンサートに出るので、周りが大変でした」(前出・アイドル誌ライター)
ツッパることが格好いいと勘違いしていた上田は、11年ごろから始めたボクシングで変貌を遂げた。12年のドラマ「ボーイズ・オン・ザ・ラン」(テレビ朝日系)では、天才ボクサーを熱演。ボクシングきっかけで、スポーツバラエティ「炎の体育会TV」(TBS系)で「ジャニーズ陸上部」や「ジャニーズ水泳部」を発足。ソロでレギュラー番組をゲットした。現在はさらにストイックな道を探究しており、軍隊格闘技を習得。アザだらけにして脛を鍛えるマニアックな強さを求めている。
ジャニーズで格闘技といえば、11月1日で解散するV6の岡田准一。戦術武道のジークンドー、フィリピンの伝統的武術のカリ、体術のシラット、初代タイガーマスクこと佐山聡が考案したUSA修斗など、総合的に網羅。ライセンスまで持っている。
上田が見つめる背中は当然、岡田。かつてのクズジャニーズが“第二の岡田”を襲名する日は、決して遠くないかもしれない。