最近『King Gnu』の常田大希が、SNSで《ヒットした音楽=優れた音楽だなんて死んでも思わないくれ(メジャーレーベルにもウヨウヨいる)そういう奴が文化を殺す》と発言し、話題になっていた。しかし彼の考え方は、本当に正しいのだろうか。
いわゆるネット上で定期的に議論されている「世界一売れているハンバーガーは世界一優れた食べ物なのか?」論。食べ物や音楽に限らず、ほとんど全てのコンテンツに当てはまることだが、結局のところ〝売れている〟ということは、何かしらの優れた部分があるように思える。
こと音楽に限っては、アーティストと受け手の感覚が乖離することがままある。例えば『スピッツ』の草野マサムネは、『ロビンソン』について「こんな地味な曲が売れる訳ない」と思っていたとのこと。また『ASIAN KUNG-FU GENERATION』の後藤正文が『リライト』のヒットを受けて、「俺には商才がない」と自虐したことも有名な話だ。
やはり一度世に出た作品は、アーティストの手を離れ、受け手のものになるとうことなのだろう。作り出した張本人さえ気付かなかった魅力が、〝優れているところ〟として評価されることも少なくない。
尖った音楽性を兼ね備えるヒットソングまた常田は《King Gnuの次の一手は非常に迷う 立て続けにヒットメイクすべきか一回こっちサイドに引き戻すべきか》とも発言しているのだが、これでは「ヒットソング=尖ってない音楽」とも聞こえる。過去のヒットチャートを見てみると、とてもそんなことは無いように思えるのだが…。
「尖った音楽でも売り上げを伸ばせる例としては、2015年~2017年の海外の音楽チャートを見てみるとわかりやすいですね。2015年には『Billboard US』の年間チャートで、『Uptown Funk』がHot 100の1位に。2016年の同チャートでは、『Drake Featuring WizKid&Kyla』の『One Dance』などがランクインしています。
ちなみに宇多田ヒカルはドレイクの大ファンとして知られており、『シン・エヴァンゲリオン』の主題歌『One Last Kiss』には、『One Dance』の影響を受けている部分が色濃く見受けられます」(音楽ライター)
日本でいえば『だんご3兄弟』や『およげ! たいやきくん』なども、〝尖っていて売れた音楽〟と言えそうだ。まさかタンゴ調の童謡が子どもから大人にまで流行るとは、当時の業界人も予想しえなかったことだろう。
たしかに売れた楽曲〝ばかりが〟優れた音楽ではない。しかし、ヒットソングを評価する人々が文化を殺すかと問われると、決してそんなことはない、と言わざるを得ない。ドレイクに影響を受けた宇多田のように、ヒットソングを愛する人が、新たな文化が生み出すこともあるのだから。
むしろヒットソングの優れている部分から目を背ける常田の思想こそ、文化を殺すのではないだろうか。一度、音楽エリートの坊ちゃまが言う〝こっちサイド〟を覗いてみたいものだ。
参照元:https://dailynewsonline.jp/